私たちはもう昔のような暮らしに戻ることはできませんが、里山に新しい価値を見出し、それぞれがやりたいことを実現するという形で暮らしに取り戻すことがこの森を再生することになる。それを、次の世代に伝えていきたいという思いから、2000年(平成12年)5月にやまんばの会を設立しました。2003年(平成15年)8月にはNPO法人となりました。また、2016年3月には認定NPO法人に認定されました(2021年3月3日まで)。
里山の現状と私達のミッション
今、里山はどうなっているのでしょうか?
◆こんなに緑がいっぱいあって自然は良くなっていってると思っていませんか。
いいえ、かつては開発で森が壊され、今はほったらかしになって森は荒れているのです。
人も鳥も寄せつけないほど真っ暗なやぶ。松が枯れて真っ赤になった山。私たちの身近な自然である里山の様子が変わり果ててしまったのです。
うっそうと生い茂った木々にさえぎられ、1年中太陽の光が射さなくなった森では生えてくる草花も移り変わり、これまで落葉樹林にすんでいた昆虫や動物が消えようとしています。そのシンボルとして、春の女神ギフチョウ(環境省レッドデータブック・絶滅危惧Ⅱ類)がこのあたりにもすんでいましたが、幼虫の食草・カンアオイが生えなくなったりしたことでどんどんその姿を消していきました。また、落ち葉がたまって栄養分の多すぎる土に生えるマツは抵抗力が弱くなり、松食い虫によってそのほとんどが枯れてしまいました。さらに、使われなくなった竹は混みすぎて行き場を失い、ここ数年ものすごい速さで周りの森に入り込み、1年に15mにも達する勢いで成長し、もとあった木々に覆いかぶさるようにして枯らしてしまうといったことが起きているのです。
◆豊かな自然とはどういう状態なのでしょうか。
木を伐る昔の暮らしは、明るい森をつくり様々な生き物が豊かにすんでいました。
以前の里山はこんな様子ではありませんでした。日の射す森では虫も鳥も獣もさまざまな生き物が暮らしていたのです。
なぜ、こんなにも変わり果ててしまったのか。
昔は、近くの山で木を伐りたきぎにしてごはんやお風呂を炊いてました。草を刈り、落ち葉を集めて田畑の肥料にしていました。また竹などの自然のものを使ってザル・カゴなどの生活道具を作っていました。しかし40年くらい前から日本人は石油やガス、電気を使って暮らすようになり、化学肥料やプラスチック製品を使うようになりました。そうしたら山にはもう用がなくなって、誰も入らなくなってしまったのです。
その結果どうなったか・・・。
手入れをせず放っておいたことで、山はやぶに変わり今のような姿になったのです。
くわしくいうと、落葉広葉樹林はしだいに暗い照葉樹林へと移り変わっていきます。これは植物の世界ではごくあたりまえの変化です。人が手を入れない自然の方がすばらしいという意見もあります。しかし真っ暗な森では、エサになる草もはえないため、生きられる生物の数は確実に減っていきます。このまま里山をほったらかしにしておくと、ごく当たり前に見られる生き物も絶滅していくかもしれません。
日本は雨が多いため、木を伐ってそのままにすると、草とともに落葉広葉樹が生えます。明るい場所では、照葉樹より成長がずっと早いからです。かつては燃料を取るためなどに、落葉樹林が照葉樹林に変わってしまう前に繰り返し伐られましたが、萌芽更新(ぼうがこうしん・切り株からまた新しい芽が出て再び樹に育つこと)によって20年後には再び落葉広葉樹林に戻ったのです。人々が生活のために森を利用しはじめたのは縄文時代にまで遡ることができます。その頃の日本列島は氷河期が終わり暖かくなったことで、落葉広葉樹林はどんどん照葉樹林へと変化していきました。しかし人々が森に手を加え続けたことで植生遷移が留まり、明るい森でしかすめないギフチョウやカタクリなどの生き物も生き続けることができたのだといわれています。
このようにして考えると、かつて人が立ち入り森に手を加える暮らしそのものが、森を含む動植物の生育環境を守っていたといえるのです。
私たちはどうやって自然を守っていったらよいのでしょうか。
◆人間が触れてはいけない自然もあります。これまで、そこにある自然と人とがどう関わり合ってきたかを知らなければいけません。
これまでの歴史を振りかえると、自然の再生する能力を無視した木材の伐り過ぎや柴草の取り過ぎではげ山になったりしたところもあります。また近年では、大規模に広葉樹を伐り、うまく育たないところでもスギやヒノキを植えました。また住宅地・ゴルフ場などの開発で森林そのものが破壊されてきました。
その一方で、日本の自然は、北から南まで変化に富んでいます。さまざまな気候と人間の関わりがあったことが、自然の多様性を生み出したのです。
森林においても、白神山地・屋久島をはじめとする手つかずの「原生林」、炭を焼いた程度であまり人が入っていない「奥山」、ごく身近な自然であり、古くから受けつがれた暮らしや農業と関係の深かった「里山」、家の柱などを取るために植えられた「人工林」などに分けられます。その環境の違いから、生息する動植物にも様々な違いが見られます。特に、原生林では時間がゆっくりと流れ、年老いた木はひとりでに倒れていきます。そこにはまた新しい木が芽生えます。自分でバランスを保ちながら豊かな世界をつくり続けているのです。
自然を守りたいと考えたとき、自然のあり様を区別せずに何か一つの方法に決めるべきではありません。これまでどのように人が関わってきたのか、その度合いを調べ、人間が手をつけない方がよいところと人が関わることが良いところをきちんと区別し、守る手だてを考えなければならないのです。
◆いま私たちにできること・・・。
私たちは昔のような暮らしに戻ることはできません。けれど、一日中ハンモックで寝ていたいなら、自分で草刈りをしてハンモックを吊るす。そうすればその周辺がきれいになります。カブトムシをたくさん育てたいなら、落ち葉や枯れ木を集め、卵を産み付ける場所を作ります。そう「落ち葉掻き」「不要木の整理」が少しできます。シイタケの原木やストーブの薪が欲しい人は、必要なだけ伐ってください。そうすれば、森の中に風が通り、日が射し込むところに色々な種が芽ぶきます。楽しみながら里山を暮らしに活かすことが、この森を蘇らせ、様々な生き物がすみ続ける環境を守ることになるのです。